児山城は、多功城・上三川城とともに宇都宮城の南方を守るために築かれた城です。今から約700年前の鎌倉時代の終わりごろに、宇都宮頼綱の四男多功宗朝の次男(又は三男)朝定が築城したと伝えられます。
現在も、本丸をめぐる堀と土塁がよく残されていて、四隅には櫓があったと考えられる高まりも確認できます。また城の周囲にも部分的に堀と土塁が残されていることや、西城、中城、北城、稲荷城などの地名から城の範囲はかなりの広さがあったと考えられます。
児山城は、築城以来宇都宮氏の南方の拠点として今から約400年前の慶長年間まで存続し、宇都宮氏の改易とともに廃城となったと考えられます。