旧石器時代より先人が居住した痕跡があり、6~7世紀の古墳時代には有力な豪族が現れました。天武天皇の白鳳時代には下野薬師寺が建立され、日本三戒壇の一つである戒壇が設置されました。また、8世紀には聖武天皇の詔により下野国分寺・国分尼寺が建立され、古代東国地方の仏教文化の中心地として栄えました。江戸時代には五街道の一つである日光街道の宿場町(小金井宿・石橋宿)を軸として繁栄し、明治以降の国鉄整備に引き継がれ、物流の要衝として発展してきました。
平成18年1月10日、平成の大合併により、南河内町・石橋町・国分寺町の3町が合併して『下野市』となりました。旧南河内町は、昭和30年4月に吉田村と薬師寺村が合併し南河内村となり、昭和46年4月町制施行により南河内町となりました。旧石橋町は、昭和29年11月に姿村と合併して新しい石橋町となりました。旧国分寺町は、昭和29年4月に町制施行をしました。