このページの本文へ移動
色合い 標準 青 黄 黒
文字サイズ 標準 拡大 縮小
RSS

公式サイトがつながりにくい場合には、ヤフー株式会社の協力によるキャッシュサイトをお試しください。

トップ観光・イベント・魅力下野市の魅力> 「東の飛鳥」~下野市の歴史・文化的特性~

「東の飛鳥」~下野市の歴史・文化的特性~

このページは情報量が多いため、ページ内リンクが設定されています。

「東の飛鳥」とは

下野市は、はるか昔から穏やかな気候に恵まれたとても住みやすい場所であったため、多くの人々が暮らしてきました。
悠久の歴史の中で多くの人々が暮らしてきた証は、数多くの文化財として、今日に継承されています。
その中でも特筆すべきことは、古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけての国(東日本)を代表する史跡などが市内に多数所在していることです。

飛鳥時代の変遷を表す重要な史跡が集中するという歴史的特性は、日本という国が成立したときに都が置かれた古代文化発祥の地である奈良県飛鳥地方と共通しています。
下野市の歴史的特性をわかりやすくお伝えするために、「東の飛鳥(ひがしのあすか)」と名付けました。

動画でひも解く「東の飛鳥」誕生秘話

東の飛鳥のロゴマーク(商標登録第6144912号)

東の飛鳥(商標登録第6144912号)

このロゴマークは、東国の古代史を解明するために重要な史跡や文化財が多数保存・継承されてきた「東の飛鳥」である下野市をイメージしたものです。龍の図は、奈良県明日香村に所在する7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された高松塚古墳の石室に描かれた四神のうち、東壁に描かれた東方の守護者「青龍」をモデルにアレンジしました。尾を丸め、力がみなぎり高く飛ぶ前の動作をイメージしています。

青龍に関する豆知識

古代の人々は、南を朱雀(すざく)、北を玄武(げんぶ)、西を白虎(びゃっこ)、東を青龍(せいりゅう)という想像上の動物が守っていると信じていました。青龍は太陽の昇る東方を守る神獣であり、春の季節や恵みの雨を象徴することから、五穀豊穣やパワーの象徴とも言われています。

「東の飛鳥」下野市域の歴史

6~7世紀

下野市域には旧石器時代より先人が居住した痕跡があり、古墳時代には有力な豪族が現れました。

しもつけ古墳群は、栃木県南部(下野市・栃木市・小山市・上三川町・壬生町)の各地に所在する大型の古墳群です。古墳時代後期(6~7世紀)に、この地域を支配した下毛野氏(しもつけし)の一族によって造られました。下野市内には、甲塚古墳(かぶとづかこふん)、御鷲山古墳(おわしやまこふん)、三王山古墳(さんのうやまこふん)、横塚古墳などが残されています。

しもつけ古墳群の様子

多くの円筒朝顔形埴輪が並べられている御鷲山古墳(再現イメージ)

御鷲山古墳と円筒朝顔形埴輪(再現イメージ)

甲塚古墳から出土した機織形埴輪(彩色推定復元イメージ)

甲塚古墳の人形埴輪(再現イメージ)

7世紀末以降

飛鳥時代末、東国最大級の古代寺院・下野薬師寺(しもつけやくしじ)が建立されます。天武天皇の信任を受けて大宝律令の選定を行うなど中央政界で活躍した下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)の関与によって、関係の深い地である現在の下野市薬師寺付近が建設地に選ばれました。
奈良時代前半には東国唯一の国立寺院として造営が進められ、奈良時代後半には、東大寺(奈良県)・観世音寺(福岡県)とともに日本三戒壇の一つである戒壇(かいだん・僧の養成所)が置かれました。下野薬師寺で受戒した僧は、東国各地の国分寺などに派遣されました。
東国における国の仏教政策の中心的な役割を果たした下野薬師寺の姿は、都の壮大な寺院のようであったと伝えられています。
現在は、これまでに行われた発掘調査の成果をもとに史跡公園として整備が行われています。
多くの謎に包まれた下野薬師寺跡の調査成果は、下野薬師寺歴史館で見学することができます。

下野薬師寺跡の様子

下野薬師寺の回廊と中門(再現イメージ)

回廊と中門(再現イメージ)

下野薬師寺跡復元回廊と周辺に咲く梅の花(1月中旬~3月上旬が見ごろ)

復元回廊と梅の花

8世紀中頃

8世紀には、下野国分寺・尼寺(しもつけこくぶんじ・にじ)が建立され、古代東国地方の仏教文化の中心地として栄えました。

聖武天皇は、度重なる災害や疫病によって荒廃した国の救済を仏教に求め、天平13年(741年)に聖武天皇の詔(みことのり)により、全国に良い場所を選んで国分寺と国分尼寺を建てるよう命じます。下野市域は古来より高低差があまりなく、開けていて安定した自然災害の少ない地域であったため、建立の地に選ばれました。下野国分寺・尼寺では、国家の平和を祈るための儀式が執り行われました。
現在は、これまでに行われた発掘調査の成果をもとに史跡公園として整備が行われています。
下野国分寺・尼寺跡の調査成果は、しもつけ風土記の丘資料館で見学することができます。

下野国分寺跡・尼寺跡の様子

下野国分寺の金堂とそれに繋がる回廊(再現イメージ)

下野国分寺の金堂と回廊(再現イメージ)

下野国分尼寺跡とその周辺に咲く桜

下野国分尼寺跡と桜(天平の丘公園内)

このページの先頭へ

「シモツケ くらし ウッテツケ」
~歴史が証明するくらしやすさ~

くらしウッテツケ赤+背景白(小)

「シモツケ くらし ウッテツケ」は、東の飛鳥・下野市の歴史的特性により証明されている「くらしやすさ」をPRするためのキャッチコピーです。

「くらし」の部分は「子育て」、「医療」、「農業」、「教育」、「防災」などの下野市のくらしやすさを表す要素に変更することができることとし、「シモツケ ○○ ウッテツケ」(○○には「子育て」などの言葉が入ります)のキャッチコピーやロゴでアピールします。

キャッチコピーのフレーズは、市民の参画によるワークショップで発案されました。

シモツケウッテツケに関するワークショップの様子

このページの先頭へ


掲載日 令和6年6月4日 更新日 令和6年7月25日
アクセス数
このページについてのお問い合わせ先
お問い合わせ先:
総合政策部 総合政策課
住所:
〒329-0492 栃木県下野市笹原26(庁舎2階)
電話:
FAX:
0285-32-8606
(メールフォームが開きます)

カテゴリー

最近チェックしたページ

このページを見た人はこんなページも見ています