下野の偉人・下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)
歴史に名を残す下野人
『日本書紀』の持統3(689)年10月に、「下毛野朝臣古麻呂」という名前が登場します。古麻呂は、現在の下野市付近を中心に勢力を誇った豪族・下毛野氏の一人で、かつて下野国と呼ばれていた栃木県の関係者として、実在し記録に残された最初の人物です。
日本で最初につくられた法律「大宝律令」編さんの実務を取り仕切った人物で、下野市域を本貫地として飛鳥の都で活躍しました。この大宝律令の完成時期に、この国が「日本」という国号の使用を始めたと考えられています。
古麻呂は、地方豪族でありながら知識と教養を兼ね備えていたので、中央で活躍し異例の出世を遂げました。天武天皇・持統天皇、文武天皇からの信任が厚く、政権運営を担っていた中納言藤原不比等と共に大宝律令の編さん作業を行いました。
律令編さんの功を認められ、大宝2(702)年には参議(朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つ)に任じられます。当時の大臣にあたる兵部卿(軍事防衛関連、武官の人事権を有する兵部省の長官。のちにこの権限は征夷大将軍に移る)や式部卿(文官の人事考課、礼式、任官、役人養成機関である大学寮を統括する長官)を歴任し、和銅2(709)年12月20日に亡くなりました。最終の官位は参議式部卿大将軍正四位下であったと『続日本紀』に記されています。当時、地方出身で大臣級まで出世できたのは、古麻呂や備中(現在の岡山県の一部)の吉備真備のようにわずか数名でした。
下野市域に下野薬師寺が建立されたことにも、古麻呂が深く関与したと考えられています。
下毛野朝臣古麻呂のここがすごい!
- 地方生まれの豪族から大臣級へ大出世
- 日本初の法律「大宝律令」編さんチーム19人のうちの中心メンバー
- 当時日本よりも進んでいた朝鮮半島諸国や隋、唐から伝来した最新技術や文化の知識を有していた
- 土木建設技術にも明るく、造山陵司(陵墓をつくる担当者)として文武天皇の陵墓造営を担当した
- 下野薬師寺の建立や、藤原京から平城京への遷都にも深く関与したといわれる
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下野薬師寺跡
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下野市を舞台とし、「下野古麻呂」と観光大使の「瓜田瑠梨」(とちぎテレビ「まろに☆え~る」)の二人をストーリーの中心としたご当地アニメーションです。 -
書籍「マンガふるさとの偉人 下毛野古麻呂」
主人公である下毛野古麻呂が、ライバルやその一族、友人や家族、多くの仲間たちとの交流を経て成長する姿が生き生きと描かれています。